教会の集まりと祈りの生活

R神父さまの主催の会に出席してきました。いつも、教会の集まりに出ると、言葉では説明しきれない衝撃を受けるとともに、大きな感動をたずさえて帰ってきます。
真剣に、日々の生活を、神の御心にかなうようにと、祈り続けている方たちと共にいることの豊かさを感じます。
その日は、分かち合いの時間があり、仕事に関わることなど、今の自分には決断が難しいと思えることを、共同体のテーブルに載せるということで、小グループの場で、心のうちを話してくださいました。
その方がこうしたほうがいいという答えを、誰かが持っているわけではありませんでした。その人の道は、その方の心の中でしかわからないのではないかと、私は思っています。
でも、話が進むにつれて、大きな導きが、その場を包み込んでいたのです。その導きの、神なる光の実感がその場にいることで、疑うことのない事実として迫ってきました。
わかるのですよね、そしてその場にいた皆さんも。
それは、私個人の感覚かもしれません。
でも、とても大切な、瞬間として心に刻まれました。

奇跡講座の中にも、兄弟(姉妹)という言葉が、たくさんでてきます。
1人では癒されることはできない。
自分の中のこだわりや葛藤を、「あー、なかったんだね!」って、目撃して、確認してくれる誰かがいてくれることで、ほんとうに、赦すことができるのですよね。
心が変わるという奇跡を、見ることができるのです。

つい、悩んでしまうのは、1人でどうにかしたいと思いつめるから・・。
自分がどうにかできると思っていたなあ・・.
私は分かっていると思っていたなあ・・と、
しみじみと思い出します。(今でも、無意識に思ってるときがありますよ 笑笑)
あたまがぐるぐるし始めた時は、「また、やってしまった・・」と思い出して、待ったをかけます。
私は、解らないんじゃなかったっけ❣️と思い出すと、なんだか不思議なことに、ホッとするのですよね。
状況は、何も変わっていないのにです(笑笑)
あとは、ただ、しばらく待つのですが、その時に、不安から何かをしないようにするのが一苦労です。
とにかく、待つ❗️
そんなふうに、聖霊の導きに従って待つようにという、祈りの生活が続くのでした・・😌✨

このように、静かな面持ちとともに、祈りながら歩けることに、そしてお仲間と分かち合えることに、感謝です。

生まれたときから、ずっと求めていたもの、
生まれたときから、ずっと知っていたもの。
そして、今、やっと近くにともに、すごすことができているもの。

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